イタリア最大の野党を率いる大物政治家エンリコが、重要な国政選挙を前にして突然の失踪を遂げた。「戦いの前に、ひとりになる時間がほしい」。そんなエンリコの書き置きを発見した腹心の部下アンドレアは、支持率が低迷中の党に決定的なダメージを与えるであろうそのスキャンダルを揉み消し、「エンリコは体調不良で入院中」との嘘をつく。窮地のアンドレアを救ったのは、エンリコの双子の兄弟ジョヴァンニだった。エンリコの替え玉に起用されたジョヴァンニは、アンドレアも驚くほどの機知とユーモアに富んだ言葉を駆使し、たちまちメディアや大衆を魅了していく。一方、こっそりとローマを脱出し、パリで暮らす元恋人のもとに身を寄せたエンリコは、日頃のプレッシャーから解放され、少しずつ心の平穏を取り戻していた。ローマから“消えた”男と、それと入れ替わるようにしてローマに“現れた”男。やがてイタリア全土を揺るがす極秘の替え玉作戦は、思いがけない急展開を見せるのだった……。
   『湖のほとりで』『イル・ディーヴォ 魔王と呼ばれた男』『ゴモラ』といった近年のイタリアを代表する傑作に相次いで主演し、アカデミー外国語映画賞受賞作『グレート・ビューティー/追憶のローマ』で披露した円熟のダンディズムも記憶に新しいトニ・セルヴィッロ。この“イタリアの至宝”たる名優の主演最新作『ローマに消えた男』は、同国のアカデミー賞にあたるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で2冠に輝いたミステリアスなヒューマンドラマである。
    セルヴィッロが演じるのは、長年のストレスに耐えかねてつらい現実から逃避したエンリコと、その替え玉として政界に大旋風を巻き起こすジョヴァンニというふたつの役どころ。外見は瓜ふたつだが、性格も社会的地位も対照的なキャラクターをカメレオンのごとく巧みに演じ分け、その一挙一動からまったく目が離せない。奇想天外なひとり2役を通して、人間の二面性や人生の光と影を体現してみせる懐の深さに、誰もが驚嘆せずにいられないだろう。とりわけセルヴィッロの凄みが凝縮されたラスト・シーンは、謎めいた余韻とともに、しばし観る者の脳裏に焼きつくに違いない。
    汚職や欺瞞がはびこるイタリアの政治状況を題材にした本作は、劇中一度も直接対面することのないエンリコ、ジョヴァンニというふたりのキャラクターの予想もつかない運命をたどりながら、大人の人生模様を味わい深く紡ぎ上げた作品である。信頼できる友人さえおらず、孤独な激務に疲れきった政治家エンリコは、25年ぶりに再会した元恋人の優しさに触れ、生きることの意味を自問自答していく。エンリコが“消える”ことで手に入れたつかの間の人生の休息と癒やしのドラマ、そして青春期を追想するエピソードは、きっと多くの観客の共感を誘うはずだ。また、政治の素人であるがゆえにしがらみに囚われないジョヴァンニが、ズバズバと本音で大衆の心を掴んでいくストーリーは痛快にしてユニーク。言わばチャーミングな変人であり、心の病を患っていた哲学者でもあるジョヴァンニの摩訶不思議な人物像は、本作における最大のミステリーでもある。
    監督はアナ・ムグラリス、ダニエル・オートゥイユ主演の官能的なラブ・サスペンス『そして、デブノーの森へ』で好評を博したロベルト・アンドー。自身が執筆した小説に基づく今回の新作では、ヴェルディのオペラやフェリーニのインタビュー映像の引用といった趣向を凝らしつつ、ダンス・シーンやピアノ演奏シーンを織り交ぜ、重くなりかねないドラマを優雅かつ軽妙に仕上げた。キャラクターの背景をすべて説明せず、観客の想像力に委ねながら人生の豊かな哀歓を滲ませたサジ加減も絶妙と言えよう。
    エンリコの側近アンドレアに扮し、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の助演男優賞を受賞したヴァレリオ・マスタンドレアの好演も見逃せない。人気&実力共に現代のイタリア映画界屈指の俳優であり、『フォンターナ広場 イタリアの陰謀』『スズメバチ』などで日本でも広く知られるマスタンドレアと、トニ・セルヴィッロの豪華共演はそれだけでも大きなトピックである。さらに『ふたりの5つの分かれ路』『華麗なるアリバイ』のヴァレリア・ブルーニ・テデスキが、エンリコの元恋人ダニエル役で匂い立つような大人の女性の魅力を漂わせている。